壱萬クラブ-待合室
[エッセイ] [叔母]
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憑いてますか〜?の後編でこれからお話することには触れずにはいられないので不謹慎ながら続きを書きます。今回は残念ながらおもしろおかしい内容ではないのであしからず。

ボクは叔母(母の姉)が子供の頃から大好きでした。
マリア様のように思っていました。
東京と富山ということもありもう何年も会っていませんでした。


ある日、母から叔母が末期癌であることを告知されました。内臓から全身への転移が激しくなり、手がつけられない状態になってしまったのだそうです。もう手遅れなので病院から自宅に戻されたそうです。そういう処置は、通常、自宅で死を迎える人のために取られるのだそうです。

ボクは無力さに茫然とし、同時になんとかボクの気持ちで治してあげたいとわけのわからない衝動に襲われました。正体不明の奇跡や癒しは大嫌いです。でもそれでもやはり彼(ボクの偏頭痛を治してくれた僧侶)に相談するしか他にすべを知りませんでした。

ボク:先生、お久しぶりです。東京の○○です。実は...
僧侶:今から送るからそれをあんた自身が持って行きなはれ。それを枕の下に敷いて、祈ってあげなさい。(ボクは何も説明してません。)

早速故郷に帰省し一目散に叔母の家へ行きました。
変わり果てた叔母の姿を見てもなぜか全く動じませんでした。癌特有の痩せと癌のこぶが一見してわかります。以前、祖母が脳梗塞で倒れた後の変わり果てた姿を見た時は、その場で祖母の手を取って「ごめん、ごめん」と大泣きしてしまった時がありましたが、どうして今回、そうならなかったかというと、病気と対決してくるというわけのわからん覚悟ができていたからです。

ボクは祈りました。お腹に手をかざして。無駄かもしれないけれど。バカかと思われようとなんだろうと、「10分だけお祈りさせて下さい。」と。そして最後のお別れをして来ました。恐らく二度と会えないかもしれないので。叔母はボクの手を取って何度も何度も「ありがとう、よぅ来てくれたねぇ。」を繰り返してました。それしか言わないことがボクを余計に悲しませました。

それからひと月くらい経過したでしょうか。
母から電話がありました。
恐ろしいその結果の報告を母の口から聞かされることはむごいことだなあと思いました。母の口から出た言葉は意外なものでした。

流動食さえ拒んでいた叔母が食事をとるようになったこと。
寝たきりとなっていたのが立ち上がったこと。
今では庭の手入れをしていること。
そして明るく笑えるようになったこと。

さらに、病院の定期健診でどうやら癌が治癒していることがわかったのです。医師から末期癌患者として治療放棄された叔母が治癒したことで、理解不能な症例として金沢大学医学部まで連れて行かれたそうです。癌の患部が明らかに退行し、健常な状態に戻りつつあると判断されたそうです。

さてここまでお話すると、例のお坊さんのお陰だ、やはり奇跡や癒しは存在するのだという不思議なお話なのかもしれません。

けれど、ボクは知りませんでした。
御殿場に住んでいるボクの妹が何度も富山へ治療とお見舞いに行っていたこと。妹は針灸マッサージの開業医で多忙です。詳しくは聞いてはいませんが、病院の西洋医学治療との狭間でさまざまな葛藤があったに違いありません。きっと悔しい思いをしていたに違いありません。そしてボクはといえば、仕事の忙しさに叔母の容態など知らないで末期になってからのこのこ出かけていたわけです。


数年後、再発し叔母は世を去りました。
いったい、叔母はなぜ奇跡的な回復をしたのか、恐らく誰にもわかりません。一生懸命看病する気持ちはどの家族でも同じだろうからです。ボクは感謝を込めてあえて今後二度と先生には連絡を取らないことにしました。なぜって?理由なんかありません。


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